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千葉地方裁判所 昭和43年(行ウ)13号 判決 1971年12月08日

原告

角田恭子

代理人

小高丑松

外七名

被告

習志野市長

吉野孝

代理人

三橋三郎

主文

被告が昭和四三年九月三〇日原告に対してした解職処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする

事実《省略》

理由

一、原告が昭和四三年四月一日被告から習志野市保母として条件付で採用され、以来同立若松保育所に勤務していたところ、条件付採用期間の最終日に当る同年九月三〇日被告が原告を解職処分に付したことは当事者間に争いがない。

二、本件解職処分の適否

1  条件付採用職員の身分保障について

まず条件付採用職員の身分保障にいて争いがあるので検討するに、習志野市職員任用規程一〇条は、「職員の採用はすべて条件付とし、その職員がその職において六カ月を良好な成績で勤務したときは正式に採用する。」と定めている。

右条件付採用制度は競争試験又は選考の方法によつて採用された者であつても、必ずしも職務遂行能力を有し、職員として必要な適格性を保持しているとは保障し難いので、右の方法によつて採用された職員について、条件付採用期間中の勤務成績などからさらに適格性の有無を判定し、職員として正式採用するか否かを決定する職員の選択手続の最終段階の選択方法として採られている制度であり、成績主義の原則の完璧を期そうとするものである。

しかして、条件付職員は、条件付採用期間中その勤務を良好な成績で遂行することを正式採用の停止条件とする特殊暫定的な地位にあるものと解される。この点につき原告は、条件付採用における条件とは停止条件ではなく、任命権者に一定の不適格事由による解雇権が留保されていることを意味するものであると主張し、その論拠をいくつかあげているが、いずれも右主張を裏付けるに十分なものではなく、右主張は採用することができない。

そこで、右のような地位にある条件付職員の解職処分が、原告主張のように法規裁量に属するのか、被告主張のように任命権者の広範囲な自由裁量に属するのかについてさらに考察する。

地公法二九条の二第一項は、条件付職員の分限について、正式職員の分限上の身分保障に関する同法二七条二項、二八条一ないし三項ならびに不利益処分に関する不服申立についての規定の適用を排除している。これは条件付職員が上記のように選択過程にある職員であり、その身分を正式職員と同様に保障することが不適当だからである。ただ同法二九条の二第二項は、条件付職員の分限について条例で必要な事項を定めることができると規定しているので、これに基づく条例が制定されたときは条例の内容により条件付職員の身分についてその保障の基準が生じ得るわけであるが、右の条例に当ると思料される習志野市職員任用規程施行内規は、正式採用を拒否し解職する場合の手続と、条件付職員を正式採用する場合の判定事項として、(1)競争試験および選考に関する一切の書類に詐称、虚為の記載その他不正、不当と思われる事実がないか。(2)研修期間中の特別な理由のない遅刻、早退、欠席等その他受講態度。(3)研修期間中の効果測定。(4)疾病、その他身心の障害等健康状態。(5)勤務実績、労力、人間性、公務員としての生活態度。(6)その他市長が必要と認める事項。(同施行内規二条)の六項目を定めているにすぎず、具体的な不適格事由は明確に定めていない。

右一連の規定に徴すると、条件付職員の分限処分については任命権者に広範囲な自由裁量権を付与しているようにみえないではない。

しかしながら、同施行内規一条は同内規の目的を正式職員に任命する場合の判定を行うための基準を定めることを目的とするとして前記判定事項を掲げているのであり、又同内規四条は勤務実績報告書、出勤状況報告書その他の事実を総合判断し、その職に必要な適格性を欠くと思われる者を人事審査会の意見を聞いて解職する旨定めているのである。そして、条件付職員の分限処分についても地公法一三条の平等取扱の原則および同法二七条一項の分限の根本基準の適用があるうえ、条件付採用制度は、もともと不適格者を排除して成績主義の原則の完壁を期そうとするものであるから、その目的を達するための客観的合理的な必要性を越えて条件付職員を分限してはならないとの制度上の制約が内在するのは当然である。又条件付職員といえどもすでに一定の競争試験又は選考という選択過程を経て採用され、正式職員となることへの期待権を有するとともに、現に給付を受ける権利などを有するのであるから、これらの権利を剥奪する分限処分には引き続き任用しておくことを不適当とする合理的な理由的な必要であるといわねばならない。しかして、前記施行内規に基づく分限処分は、任命権者にある程度の裁量権が与えられていることは否定できないけれども、純然たる自由裁量に属するものと解すべきではなく、それは条件付採用制度および右法条の趣旨に則した一定の客観的合理的基準に適合するものでなければならないものと解するのを相当とする。したがつて、右処分は法規裁量に属するものと解すべきである。

なお原告は、保母の義務が専門的職務に属することを理由に、適格性の判断は一般職員と区別し特別な基準によらなければならないかのように主張するが、保母資格があるということは、保母としての専門的知識を有することを意味するにとどまり、条件付採用期間中の原告の勤務成績の良否とは必ずしも関係なく、まして原告の保母としての適格性を裏付けるものではないから、右主張は採用できない。

以上の見地に立つて本件解職処分の適否について検討する。

2  本件解職処分事由に対する判断

(一)、午睡時間中に熟睡し、児童の帰宅に気付かなかつたこと等が、保母としての注意力、責任感に欠けるとの点について

保育所では、児童の健康管理のため、高温の時期である七月から九月にかけて午後零時三〇分ころから同二時三〇分ころまで児童に午睡させていたこと、午睡は原告の受持ちクラスでは保育室ではなく遊戯室で実施していたこと、七月中旬ころ、右午睡時間中、原告が保育室に児童を一人残留させておいたところ、その児童がいつのまにか帰宅してしまつたが、原告はそのことをその母親が心配して来所し、事の次第を所長から知らされるまで気付かなかつたこと、児童が一人で保育所外に出ることが危険であることは当事者間に争いがなく、<証拠>を合わせると、問題の児童の母親が、子供が泣いて帰つてきたが一体どうしたのだといつて来所したので、所長が遊戯室にいる原告を呼びに行つたところ、同原告が他の児童に添寝して眠つていたこと、問題の児童は、午睡前に騒いで他の児童の午睡に支障があつたため、保育室に立つているよう原告に指示されたが、そのうちに泣いて帰宅したものであることが認められる。<証拠判断―略>。

保育は、幼ない年頃の児童を対象にその保護養育を図ることを目的とするものである。したがつて、児童の動静を把握し事故の防止や健康管理に留意すべきことは保母の職務の重要な一内容をなすものというべきであり、保育室に児童を一人残留させ、しかも体罰として立たせておきながら他の児童と共に寝入つてしまい、その児童の帰宅に気付かなかつたということはなんとしても失態であつて、この点において保母として必要な注意力、責任感に欠けていると評価されてもやむを得ないといわねばならない。

ところで、原告は、当日原告において直ちに問題の児童の母親に謝罪し、その了解を得て円満に解決されているから、これを処分事由にあげるのは不当であると主張する。なるほど<証拠>に照らすと右主張事実を認めることができ、原告において反省の態度を示している点は、後記のように適格性の判断において考慮されなければならない。しかし、問題が解決済みかどうかは適格性の有無と直接関係がないから右主張は採用できない。

又原告は、児童が一人で自由に保育所外に出られたということは根本的には保育所の管理施設の問題であり、そのことを処分事由にあげるのは原告に責任を嫁するものであると主張するけれども、仮に保育所の管理施設に問題があるとしてもそれによつて児童の動静に対する注意を欠いた原告の責任が軽減されることにはならないから、右主張は理由がない。

(二)、遠足に遅刻したうえ、弁当等を用意して来なかつたことが、規律性や職務に対する熱意等に欠けるとの点について

五月二八日保育所全体の行事として遠足が行われたが、原告は当日午前八時三〇分の集合時間に遅刻したうえ、弁当と水筒を持参しなかつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を合わせると、遠足の出発時間は午前九時三〇分から一〇時の間と予定されていたこと、所長は原告が集合時間を過ぎても出勤して来ないので、午前八時五〇分ころと同九時一五分ころの二回原告の下宿先に電話で問い合わせたところ、原告は直接電話口に出ず、代りに下宿先の人から頭が痛いとかいつているがすぐ出勤するといつている旨応答があつたこと、しかし原告がタクシーでかけつけて来たのは九時五〇分ころであり、すでに全児童がバスに乗車し待機していたこと、バスは一〇時近くになつて出発したことが認められ、<証拠判断―略>。しかし、被告主張の原告が当日サンダル履きで出勤してきたとの点については本件全証拠によるもこれを認めることができない。

ところで、<証拠>によれば、原告が当日朝遅刻したのは、生理のため身体の具合が悪く、床離れが出来なかつたためであること、原告は集合時間に間に合わなくなつたものの児童が楽しみにしている遠足であるため休まないで出勤したこと、当日弁当や水筒を持参しなかつたのは、同僚の保母に依頼していたからであることが認められる。<証拠判断―略>。

そうすると、原告が遅刻した事情には相当の理由があり、右遅刻自体をとらえて直ちに規律性が欠けていると評価するのは酷であるといわなければならない。又原告が遠足当日サンダル履きで弁当も水筒も持参しなかつたことを理由に、職務に対する熱意、周到さに乏しいとする被告の主張も失当であるといわねばならない。

もつとも、僅かな時間の遅刻ではなく、しかも遠足という大事な行事が行なわれるのであるから、原告としては所長に対し、遅刻する事情を説明し、出勤できる時刻を報告して了解を得ておくなど適切な措置をとらなければならなかつた適切な措置をとらなければならなかつたというべきであり、電話による問い合わせがあつた際もなんら打つべき手を打たなかつた原告の態度には、公務員にふさわしい規律性、誠実性に欠くものがあると非難されてもやむを得ないように思われる。

原告は、フリー保母の制度が確立されていれば右のような事態にはならなかつたと主張するが、これは右制度以前の問題であるというべきである。又原告は、生理休暇を要求すると上司からいやみを云われる雰囲気であり、原告はありのまま報告する気になれなかつたのであると主張するが、これに符合する<証拠>は証人有馬幸子の証言と対比したやすく信用することができず、ほかに右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)、研修の席で居眠りするなど、研究心や義務に対する熱意に乏しいとの点について

<証拠>を総合すると、原告は、研修の一環として五月一五日保育所内で地公法等について講話が行われた際途中から居眠りを始めたこと、七月一七日実籾保育所で一般教養を内容とする市長講話が行われたときも、その席上居眠りしていたこと、又八月二九日実籾保育所で午前中は市助役の欧米視察の講話があり、午後からは絵本についての講習が行われたが、原告は午前中私信をしたためたり週刊紙を読んだりし、午後からは一時三〇分ころから三時ころまで居眠りしていたことが認められ(右研修会や講習会が開催された日時については当事者間に争いがない。)、<証拠判断―略>。しかし、原告が職員会議で居眠りしていることが多かつたとの点については、本件全証拠によるもこれを認めることができない。

原告は、研修会、講習会等での居眠りはよくあることで通常人ならば往々にしておかすあやまちであり、こけを解職の理由とするのは聖人君子を要求するに等しいと主張する。確かに研修や講習の内容、講話の巧拙、その行われる時期、時間などによつては時として居眠りを催すのも無理からぬ場合があり得よう。<証拠>によると、七、八月に行われた研修は暑い盛りであり、又五月一五日の所長講話は地公法の解説などの話しのため、原告のほかにも居眠りしていたものがあつたことが認められる。そして市長や所長の講話の際における居眠りについては、居眠りしていた時間がどの程度かも明白ではないので、いちがいに非難するのは適当でないように思われる。しかし、絵本の講習の際における居眠りは、前記の如き外的条件があつたとしても通常人ならば往々おかすあやまちの限度を越えているというべきであり、原告が研修中に私信をしたためたり、週刊紙を読んだりしている態度から推すと、原告の研修中の居眠りは外的な条件だけではなく、被告主張のように研究心や職務に対する熱意の乏しさによるものと疑われても仕方がない。原告の主張は直ちに採用できない。

(四)、テレビ観覧を希望しない児童を保育室に残留させておくのはクラス経営として妥当でないとの点について

六月ころ、原告が受持ちクラスの児童を他のクラスヘテレビ観覧につれて行く際、希望しない児童をクラスの部屋に残留させたことは当事者間に争いがない。

被告は、右のようにして児童を保母の目が届かないところに置くことは非常に危険であり、保母のクラス経営として妥当でないと主張する。しかし、<証拠>によれば、右両室は入口と入口の距離が七、八メートル位のものであつて、保母が容易に室に残した児童の動静を把握できる情況にあり、原告はその点の注意を怠らなかつたことが認められるから、児童を保母の目の届かないところに置いたとの非難は当らない。又<証拠>によれば、保育計画の中にテレビ観覧というものがあり、これには受持ちクラスの児童全部を参加させる建前になつていることが認められるけれども、一方<証拠>によれば、児童の中にはテレビ観覧を希望しないものがあり、このような児童に対しテレビ観覧を無理強いすることは却つて保育上好ましくなく、テレビ番組によつては必ずしも見せる必要がないものもあるので、原告以外の他の保母も、希望しない児童には絵本を見せたりしていることが認められ、右事実に照らすと、テレビ観覧を希望しない児童に対する扱いは、監護上の配慮が尽される限り保母の自主的判断に任せるのが相当と思料される。そうするとこの点をクラス経営が妥当でないとして不適格の一事由とするのは失当であるといわねばならない。

(五)、指導計画案を予定期日まで作成しないことが職務に対する準備、計画性に乏しいとの点について

保育所では、所長に提出する指導計画(月案)作成のため、同年限の児童を受持つ保母の間で各自計画案を持ち寄り、打ち合わせを行つていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、右打ち合わせは簡単に出来るので通常は各保母の都合のよい日に行つていたが、八月は夏休みがあつたため全保母が登所する給料日の八月二一日に右打ち合わせを行うことを予め申し合わせていたこと、しかし、原告が当日まで計画案を作成して来なかつたため予定通り打ち合わせが出来なかつたこと、もつともそのために所長への指導計画の提出が遅れるようなことはなかつたことが認められ、<証拠判断―略>。

ところで、右認定事実によれば、右打ち合わせは簡単に出来るので、各保母が互いに都合のよい日を見計つて行つていたのが通例であつて、現に前記予定期日に打ち合わせが出来なかつたとはいえ指導計画の提出が遅れるようなことはなかつたというのであり、右事実と<証拠>に照らすと、八月二一日に打ち合わせを行うという申し合わせは、一応の予定にすぎず、当日まで計画案を作成し持ち寄らなければならないというほどのものではなかつたことを窺うことができる。そうすると、前認定の事実があつたというだけで自己の職務につき準備、計画性に乏しいと判断するのは当を得たものとはいいえない。

(六)、保育所の管理方針に反し、保育時間外に児童を保育所に立ち入らせるなど、管理方針を無視する傾向があつたとの点について

<証拠>によれば、平常保育は午前八時三〇分から午後三時まで、長時間保育は七時三〇分から六時までとなつていることが認められるところ、原告が右平常保育終了後一たん帰宅した児童をクラスの部屋に立ち入らせ、掃除を手伝わせたことがあつたことは当事者間に争いがない。<証拠>によれば保育所では所長の管理権に基づいて、他の市立保育所と歩調を合わせ、五月下旬ころに、保育時間外は職員の目が届かないので保育所内での万一の事故や保育所の設備、備品等の紛失破損の防止など管理上の必要から、部外者は勿論のこと一ん帰宅した児童を保育所内に立ち入らせないとの方針をとり、指導していたことが認められる。

<証拠判断―略>。

しかしながら、<証拠>を合わせると、所長や主任保母が職員会議で右方針をとりあげ周知徹底を図つたことはなく、前認定の保母に対する指導は十分に徹底されたものではなかつたので、他の保母のもとにも保育時間外に児童が遊びに来ていた事実が認められるうえ、児童が保母を慕つて時間外に来所した場合にむげに追い返せと要求するのは、児童の健全な保護育成という保育の理念に照らし妥当ではなく、保母に対しては、保育所の管理方針に背反することのないよう情況に応じた次善の対応を期待するほかないものと思われるのである。そうすると、前記原告のとつた行為から原告を管理方針を無視する傾向があるとして問責するのは妥当でないといわねばならない。なお、掃除の手伝いの点については、原告が命令的に児童に掃除を手伝わせたとの事実は本件全証拠によるもこれを認めることができないから、この場合でも前同様のことがいいうるのであつて、原告をいちがいに批難するのは相当ではない。

(七)、自由遊びの時間に居眠りしていたとの点について

自由遊びは保育内容の一部であり、保母の職務に含まれることは当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、保母は右自由遊びの時間中いつも児童と行動を共にしているわけではなく、例えば部屋で事務処理をしながら児童に自由遊びをさせ、その動静に注意するようにしている場合もあることが認められ、<証拠判断―略>。

しかし、もとより右時間中居眠りするようなことは許されないところ、<証拠>によれば、五月下旬ころの自由遊びの時間に、殆んどの児童が外庭に出て遊んでいるときに、原告が保育室内の机にうつぶせになつていたこと、しばらくして右証人が原告の許に行つたところ、同原告は目を赤くし、ねぼけ顔をしていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右事実に徴すると、被告主張のように原告が居眠りしていたとは俄かに速断することはできないが、その服務態度については、相応の非難を免れることができない。

(八)、午睡時間中、児童を長時間立たせるなど、指導方法が適切でないとの点について

<証拠>によれば、九月初旬ころ、午睡時に入る午後零時三〇分ころから一時三〇分ころまでの間、原告の受持ちクラスの児童が午睡室となつている遊戯室内に立たされていたこと、主任保母目良陽子がみかねて児童を寝かせ、原告に注意したところ、「自分で好きで立つているのでしよう」というような受け答えがあつたことが認められ、<証拠判断省略>。

保母が、その指導に容易に従わない指導困難な児童に対し、体罰として立つているよう命じることがあることは当事者間に争いがないところであり、右のような児童をどう処遇し指導するかは本来専門職たる保母の自主的判断に任ねられているということができよう。しかし、夏期における児童の健康管理上午睡は保育内容の一部として重要であり、午睡時間中に長時間にわたつて児童を佇立させておくようなことは指導方法として適切なものとはいえない。

(九)、日直勤務時間中、保護者と二〇分も立ち話し、保育の責任を果さないとの点について

保母の勤務が平常勤務と日直勤務とに分れ、平常勤務は午前八時三〇分から午後四時三〇分まで、日直勤務が午前七時三〇分から午後六時までとなつていること、日直勤務の保母は午前七時三〇分ころから登所してくる児童や、午後六時ころまで保育所にとどまつている児童の保育(長時間保育)に従事しなければならないこと、原告は、五月中旬ころの夕方、日直勤務中、他のクラスの児童を迎えに来た保護者と立ち話しをしたことがあることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右立ち話しをしていた時間は一五分位であつたことが認められる。しかし、問題の保護者の児童以外に未だ数名の児童が残留していたとの被告主張の事実については、本件全証拠によるもこれを認めることができない。却つて、<証拠>によれば、立ち話しをしたのは六時ころであり、保育所に残つていた長時間保育の児童が右時刻ころまでに、保護者の迎えがあつて三々五々帰宅して行き、立ち話しをしていたころには問題の保護者の児童以外は残つていなかつたこと、したがつて、原告はその保護者の身の上話を聞いていたのであるがが、保育上支障を生ずるような情況ではなかつたこと、保母と保護者の交渉は家庭環境や保護者の保育についての考え等を知ることができるので、保育上の参考となることが少くなく、それは受持ちクラス外の児童の保護者との間でも、長時間保育で接触を有するわけであるし、保育所と保護者との信頼関係の発展にも役立つことになり、無意味とはいえないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実に照らすと、日直勤務時間内に保護者と立ち話しをした事実があつたからといつて、これを過大視し処分事由とするのは相当でないというべきである。

(十)、コップやナプキンを使用させないとの職員会議の決定を無視し、これを使用させていたとの点について

<証拠>によれば、保育所では従前児童に登所する際ナフキンを持参させていたが、なかなかこれを洗わない家庭が多く汚れたままのナフキンを持参させるので、昭和四二年ころナフキンは使用させいことにし、その代り保母が食卓となる机をきれいに拭くよう改めたこと、翌年四月に一人の保母を除き全部保母が入れ替つたので四月当初に全職員による打ち合わせが行われ、その席で目良主任保母から連絡事項として引き続きナフキンを使用させないことにする旨指示されたが、職員から特に異議が出されなかつたこと、原告以外の保母は右指示に沿つてナフキンを使用させなかつたが、原告はこれを使用させていたこと(この点は当事者間に争いがない。)、又保育所では、八月の夏休み中に、一室四個あつた固定蛇口のうち二個をホーム水栓(回転蛇口)に改造した(日時の点を除き、この点は当事者間に争いがない。)ので、これを機に職員会議で、児童にホーム水栓を使用させるようにすることとし、その使い方などを指導して行くことに申し合わせ、指導計画にも盛込められたこと、原告は右申し合わせ後も児童にコップを使用させていたこと(この点は当事者間に争いがない。)、なおホーム水栓に比し、コップの共同使用は衛生上問題であり、コップを常に清潔に保つことも実際上困難であることが認められる。<証拠判断―略>。

右事実に照らすと、原告は職員会議で決められた方針を無視し、気ままに行動する傾向があつたとみられないでもない。

しかしながら、<証拠>を総合すると、四月当初に行われた打ち合わせの際、目良主任保母からナフキンを使用しない理由などについて特に説明はなく、絶対に使用してはならないというほどにその趣旨が徹底されてはいなかつたこと、ナフキンの使用については衛生上前認定のような問題があるが、一般的にはこれを使用した方が衛生的であり、情操教育の観点からも有益であつて他の保育所では殆んどナフキンが使用されていること、原告はナフキンの使用に当つて児童のナフキンが清潔であるよう配慮していたこと、又ホーム水栓に改造後の職員会議でホほーム水栓の使用を指導する方針が決められたが、児童がその使用に不慣れであつたことから、それはコップを一切使用させないというものではなく、原告以外にもコップを使用させていた保母があつたことが認められ、<証拠判断―略>。

右事実によると、原告が職員会議で決められた保育所の方針を無視しているとはいえず、仮に右方針を無視する点があつたとしても、原告を問責するのは相当でないというべきである。

(十一)、日直者の義務である保育所の鍵の持り帰りを忘れたことがあり、所務に熱意がないとの点について

四月一〇日の職員会議において、当時保育所に住込みの用務員が居なかつたため、日直者がその前日保育所の鍵を持ち帰ることに決められたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は四月下旬と五月上旬の二回、翌朝日直の時その前日に鍵の持ち帰りを忘れたことがあつたことが認められ(鍵を忘れたことが一度あつたことは当事者間に争いがない。)<証拠判断―略>。

しかしながら<証拠>を合わせると、原告だけでなく他の保母も鍵を忘れることがあり、右のような方式では管理上好ましくないため、その後改められていること、原告は鍵を忘れた際、翌朝電話連絡し支障のないよう措置をとつたこと(ただし、一度だけ)が認められ、右認定の事実に照らすと、鍵の持ち帰りを忘れたことがあつたからといつて直ちに所務に熱意がないと決めつけるのは酷であり、これを処分事由とするのは失当であるといわねばならない。

3、本件解職処分の効力

以上検討したところによれば、適格性の有無を判断するに当つて原告の責任を問い得る事実は、被告の主張する処分事由のうち(1)ないし(3)、(7)、(8)の事実だけである。

そこで、右処分事由となり得る事実だけで適格性を欠くといえるか否かについてさらに検討するに、適格性を欠くといい得るためには、当人の素質、能力、性格、普段の勤務態度等からいつて、その職にふさわしくないという顕著な特性が存し、それが容易に矯正することのできない程度のものでなければならない。換言すれば、ある一定の行為が同人の公務員としての不適格性の徴表と見られる場合でなければならないと考えられる。

これを本件についてみるに、前記処分事由となり得る事実は、それ自体保母としての責任感や職務に対する熱意に乏しい等の評価を受けてもやむを得ない事由ではあるが、<証拠>を総合すると、原告は、青山学院女子短期大学英文科を卒業後貿易会社等に勤務していたが、子供好きで、子供との接触の多い職に就きたいとのかねての念願から、昭和四一年に私立保育所の保母見習いに転職、勤務のかたわら勉学してその翌四二年に保母資格試験に合格し保母資格を取得、昭和四三年四月に若松保育所の保母となつたものであり、保育に当つては、子供達が明るくのびのびとそして思いやりのある子に育つて欲しいということをいつも念頭において、普段はいろいろ保育に工夫をこらし、積極的かつ熱心に保育に従事していたもので、子供達に好かれ同僚保母や父兄からも信頼を寄せられていたこと、原告は職員会議などで保母のあり方などにつき活発に意見を述べ、目良主任保母と衝突したこともあつたが、それは保母として再出発を期するものの意気込みの現れとみられること、本件解職処分がなされる前の九月二六日に、原告が一たん依願退職する意向を明らかにした際、当時の市の総務部長岩井泰治が原告に対し、私立保育所への就職をあつせんするに当り、自ら原告の保証人になることを申し出ていることが認められ、<証拠判断―略>。

そして、前記処分事由となり得る事実も、前項認定の事実に照らすと、保母としての本質的能力に疑念をさしはさむほどの重要なものとはいい難いうえ、<証拠>によれば、(1)、(2)の事実について、原告は当日直ちに母親あるいは所長に謝罪して反省の態度を示し、以後同じような誤りを犯していないことが認められるし、又、(1)、(3)の事実についても、主任保母から注意を受けた後同じ誤りを繰り返していないことが弁論の全趣旨により認められる。

以上の事実に照らして考えると、前記処分事由となり得る事実は、いずれも上司の適切な指導や助言があれば容易に矯正することが可能であり、又原告においても、その至らない点を深く反省し、保母としての経験を積み重ねることによつて容易に矯正することができる程度のものとみられるのであつて、条件付採用期間が一面においては未だ未完成な職員の教育期間としての面をもつていることを合わせ考えると、偶々本件のような事由があつたとしても、引き続き任用しておくことが不適当であるとはいえず、又直ちに保母としての職業上の不適格性の徴表とみるのも相当でないといわなければならない。

そうすると、原告において反省を求められる点は少くないけれども、被告が、原告は習志野市任用規程施行内規四条の「その職に必要な適格性を欠」いているとしてなした本件解職処分は、その基礎とした本件解職処分事由のうち相当重要な部分が欠けているのに加え、その余の事実も原告の不適格性を裏付けるに十分でなく、結局先に述べた裁量基準を逸脱するものと解せざるを得ないから、前記施行内規四条の適用を誤つたものとして、その余の点を判断するまでもなく違法であり、取消を免れないものといわねばならない。

三、よつて、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(渡辺桂二 鈴木禧八 佐々木寅男)

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